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2008年02月25日

アンカラの今と昔

こんな都市があったことすら知りませんでした。
おもしろいですね。

現在のアンカラの旧市街は古代にアンキュラ(Ancyra)と呼ばれる都市で、フリュギアによって建設された。アンキュラは紀元前189年にローマ帝国によって占領されてアンゴラ(Angora)という名で知られるようになる。ローマ人は、アンゴラをローマ都市として整備するため、大劇場、大浴場、アウグストゥスを祀る神殿、ユリアヌスの来訪を記念する円柱などを建てた。それは、アンカラとなった現在も遺跡として残っている。

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)のもとでキリスト教が広まり、現在も残る城塞が築かれた。またテマ(軍管区)・オプティマトンの首府となるなど、アナトリア中部における帝国の地方行政・軍事の拠点都市となった。このため度々イスラーム勢力の侵攻を受け、806年にはアッバース朝のカリフ、ハールーン・アッ=ラシードが自ら軍を率いてアンゴラを包囲するということも起こっている。

アンゴラは、1073年にムスリム(イスラム教徒)のセルジューク朝によって占領され、トルコ人によってアンカラと呼ばれるようになった。1101年には十字軍としてやってきたトゥールーズ伯レーモン4世がアンカラを占領している。セルジューク朝がレーモン4世の軍を撃退した後、アンカラはセルジューク系のアミールであるダーニシュマンド家の政権やルーム・セルジューク朝、さらにはモンゴル政権であるイルハン朝の支配を受けた。

アンカラは1356年にオスマン朝のオルハンによって占領され(ムラト1世の時代という説もある)、以降はオスマン帝国領となるが、1402年にはこの町の近郊でオスマン朝のバヤズィト1世が中央アジアから来攻したティムールに敗れ、オスマン朝は10年間に及ぶ分裂期を迎えた(アンカラの戦い)。

オスマン帝国時代のアンカラはアナドル州に属するアンカラ県の県都であったが、17世紀初頭にアナトリアで発生した大規模反乱であるジェラーリーの乱の際には反乱側に落ち、その中心地となった。また、オスマン帝国時代には特産であるアンゴラヤギの毛を用いたモヘヤ生産の発展もみられたが、19世紀に入るとイギリスがアンゴラヤギの飼育に成功したこともあり、市場での独占性が薄れ毛織物工業は衰退に向かった。1864年には行政区画の改変によりアンカラ州の州都となり、1892年には鉄道(アナトリア鉄道)が開通してイスタンブルやエスキシェヒルと結ばれたが、全体としてはアンカラは地方の小都市であり、20世紀初頭の1919年においても人口は2万5000人ほどであった。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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